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2015年08月14日

こんなデモ団体あったらいいなあ

最近、僕のTwitterにデモに関する話題が流れてくるけど、
以下のような主義を掲げるデモ団体があったらいいなあ。

(1)悪口を言わない
⇒「○○首相はバカだ」「○○総理はファシストだ」
みたいな誹謗中傷による批判活動を一切しない。
(批判をするなら、真っ向から内容で勝負!)

(2)ネガティブワードを連呼しない
⇒正式名称(もしくは世間一般に流布している略称)を
イメージの悪い言葉に変えて連呼するような
印象操作による批判活動を一切しない。
例)「戦争法案反対!」「強行採決反対!」
(批判をするなら、真っ向から内容で勝負!)

(3)批判対象の法案が成立した背景やメリットを
 併記せずに批判しない

⇒どんな法案だろうと、必ずそれが成立した「背景」があるし、
また、何かしらの「メリット」があると考えるからこそ
誰かがその法案を成立させたのだと言える。
だから、
「○○首相がバカだから法案を作った」
「戦争が大好きだから法案を作った」
「権力に酔いしれて暴走したから法案を作った」
といった形で批判するデモ団体があっても構わないが、
我がデモ団体はあくまでも、

・その法案が
 「成立せざる得なかった背景(国家が抱える課題)」
 とは何のなのか、それをきちんと分析する。

・その法案が成立することでどんなメリットが生じるのか、
(もしくは、その法案を作らないことでどんなデメリットが生じるのか)
 をきちんと分析する。

といった分析作業を行い、それを併記した上で批判を行う。
※なお、こうした構造分析には、
ツリータグ式の議論掲示板」が役に立つかもしれない

(4)代案なく批判しない

「ある法案を成立せざる得なかった背景
 (国家が抱える課題)」

に対して、よりリスクの少ない代案(他の選択肢)
を洗い出して、メリット/デメリットを併記した上で提案する。
代案が思いつかないときは、「代案はありません」と
正直に主張する。

(5)デモしない
⇒街頭デモを行い、動員人数によって世論を変えるのではなく、
より優れた代案を議論し、積極的にネットに
流布することで世論を変えることを活動目的とする。

以上。
という感じですが、決して、
「こういうデモ団体があれば社会が変わる」とか
「こうじゃないデモ団体は悪い」とか
と言いたいのではなく、
「こういうデモ団体『も』あってもいいよね」
というお話。
「ある法案Aに反対だけど、
 「口汚く悪口言ったり、反対連呼するだけ』の
 既存のデモ団体と一緒に見られると嫌だなあ」
と思っている人の受け皿になれたらいいなと。

まぁ、「代案を提案する」時点で、
反対者から政治家並みに口汚く批判される可能性は
高いわけですが……、でも、
「反対連呼して動員かけるだけのデモ団体」
にうんざりしたり、近づきたくないなと思う
有識者や学生のみなさんは
こういうのに挑戦してみても良いと思います。

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posted by 飲茶 | Comment(9) | アイデア帳
この記事へのコメント
まったく、そこなんですよね。
安部内閣に対する批判はわかるのだけど、
アホノミクスとか、戦争法案とか、
ヒトラーになぞらえた安部さんの似顔絵を出してきて、
大きくバツを書いたりとか
そういうのを見たり聞いたりするとちょっとウンザリします。
もちろんまっとうに批判している人たちもたくさんいるのだけど。

ただ、批判に代案は(あったほうがいいけど)
なくても良いと思いますね。
よく批判された時に「じゃあ、代案出せ」という反論がありますが、
批判によって悪い点をあぶり出して
批判された側も一緒に代案を考えていけばいいわけで。
Posted by 森田 at 2015年08月15日 11:45

コメントありがとうございます。
「代案無くても批判しても良い。適切な批判ならそれだけでも有用なはずだ」というのはまったくの正論で、普通に考えてその通りです。
しかし、
その正論を踏まえた上で、「あえて」という形で、あのように書きました。

なぜなら、「オレが代案を考えてやろう」という志を持たない人は、「一個デメリット(批判点)を見つけただけ」で満足し、思考を停止して「ここがダメだ、反対反対ハンターイ!」と連呼するだけの人になってしまいがちだからです。

だから、「代案を考えないとダメ」という主義を掲げる。
仮に「代案なく批判」したいときは、最低でも、ちゃんと「代案ありません」というプラカードも作って正直にデモをする、という矜持を持つ。

思考停止型のデモ活動にならないためには、こういう主義が必要だろうと考えました。
(ちなみに反対反対ハンターイと叫ぶだけの人が世界にいてもオッケーです。そういう人はたくさんいるはずなので、それはそういう人に任せる。我々はあくまでも代案を考える志を持って活動する。あくまでも「我々だけ」は、です)
Posted by 飲茶 at 2015年08月15日 13:20

また、政治(法案)を批判する上でもっとも大事なのは、「その法案によるデメリットを見つけること」よりも、その法案によって「どんな問題を解決しようとしているのかをきちんと知ること」だと思っています。

例えば、こんな問題Xがあったとします。
「一年以内に○○が理由で地球が滅亡する」
そして、この問題Xを解決するために、政治家や官僚が法案Zを作ったとしましょう。

さて、どんな法案だろうと、いくらでもデメリットが言えるわけですが……、

優先順位でいえば、(大事なので二回言います、あくまでも優先順位で言えば)

「デメリットを見つけて批判すること」よりも「背景となる問題Xをきちんと把握すること(そして、それを解決しようという意志を持つこと)」の方が大事なはずです。
(大事というか、前提です)

この前提(大元の問題の把握)をなくすと、
どうしても「ただデメリットだけ見つけて批判する」「ダメなものはダメだからとにかく反対と連呼する」だけの『ダメな野党みたいな人』になってしまいがちです。

結局、問題Xの解決に何も貢献できないどころか、「足を引っ張ってるだけ人」「与党の言うことにはとにかく反対するだけの野党体質の人」になってしまいます。

そういう人は世界にいても良いけど、そういう人にウンザリしてる人の受け皿になるデモ団体もあっても良いかなあと思っています。
だから、記事のような主義を掲げ、「批判だけするのはNG」という、一見、非常識なことを言ったしだいであります。
Posted by 飲茶 at 2015年08月15日 14:12

飲茶さんの今回の提案のようなデモ団体?は確かに面白い。というか、あって欲しい。
ネットの掲示板でのやりとりは、単なるやっつけ合いになるようだし、私なんか書き込んでも虚しい感情で終わることが多い。理由は、自分の気付かなかった新しい知見に出会えた、といった感動が一切ないからだと思う。
相手の唱える主張には、どんな問題に対しての解答なのか、飲茶さんが主張するように、その背景を察することのない反論は無意味だと私も思う。また、単なる批判は無責任に堕することがはなはだ多いことも実感する。それは自分の発する考えに対して責任を引き受けるという真摯さが無いせいだと思わざるを得ない。
安保法案に関する国会の討論は虚しいばかりであり、これぞ衆愚政治といった景色にしか見えない。先ずは、何が問題かの定義からちゃんと議論出来たらどんなにいいかと思う。
Posted by あまのん at 2015年09月15日 21:08

私は今、「知的デモ」の必要性を感じています。「知的デモ」とは、一法的かつ扇情的な従来のデモとは違い、国民を目の前で賛成派と反対派が討論をするというものです。

今のデモは、はっきり言って知的とは程遠い代物です。その理由は、飲茶さんの意見とほぼ同じで、同じ意見の人が集まり、単純なレッテルを繰り返す行為しか行っていないからです。「詭弁論理学」風に言えば、彼らは2分法(最初に善悪の区別をする行為)と小児的強弁(気に入らない相手にレッテルを張り、連呼する)しか行っていません。

悪口を言わない、ネガティブワードを連呼しないなど、飲茶さんの考えるデモ団体も今のデモ団体よりも知的で建設的な存在です。しかし、もう少し建設的なデモを考えました。「知的デモ」や「知的デモ団体」は今のシー○ズのように「戦○法案反対!!!○○時に○○集合」などと言わず「安保関連法案についての討論会を○○時に○○で行います。」など紳士的に議論を促すといったものです。もちろん主催者も賛成や反対などの意見を持ってかまいません。しかし、討論をするに考えることを忘れてはいけません。

賛成・反対が有権者を目の前にして討論するデモこそ、今必要な民主主義のあり方だと思います。
Posted by とある大学生 at 2015年09月20日 21:27

みなさん、コメントありがとうございます。
基本的には賛成ですが、「議論(特に公開討論)」はうまく行かないと思っています。

長年、議論掲示板を運営してきましたが、有益な議論はほとんどありませんでした。

おそらく議論するデモ団体は、喧嘩別れになると思います。
ですので、僕としては、「各論のメリットデメリットの構造を分析して、ツリーにしていく形式の新しい議論のやり方」を推奨したいところです。
※その議論のやり方は、ブログにまとめています。
Posted by 飲茶 at 2015年09月20日 21:52

ツリー式、面白いですね。
私が一番不満なのはネット、特にTwitterに顕著なのですが
例え建設的な議論が生まれ得る意見が出ても、それを引き継いで発展していく事が極端に少ない事だとです。理由はいくつかあると思いますが、乱暴にまとめてしまうと、議論の現在地が把握しにくいせいだと考えてます。
なのでツリー式の、議論を形式的、段階的に整理して可視化しながら地に足つけて議論出来そうなところが非常にいいです。
Posted by あふもく at 2015年11月06日 04:32

哲学を哲学だと定義すると哲学じゃ無くなる
不思議じゃない事を不思議じゃないと定義すると不思議になる
Posted by at 2015年12月13日 11:30

大好きなサイトだったのにこのページ見て幻滅しました

1〜3はその通りだと思いますが4,5はまるで理解ができません
Posted by at 2016年03月16日 10:31

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