2010年08月20日

史上最強の哲学入門、製作秘話(6)

もしかしたら板垣先生に表紙描いてもらえるかも

そう予感させる出来事が!
それは本に登場させる予定であった哲学者たちの
顔写真付きのリスト」を板垣先生に見せたときでした。

すごく、いい貌(かお)してる……

そう小さく嬉しそうに呟いた板垣先生。僕はそのとき、
板垣先生の目の色が変わったように感じました。
おそらく哲学者たちの「ひとくせもふたくせもある強烈な貌(かお)」が、
板垣先生のクリエイター魂に火をつけたのかもしれません。
もちろん、直接聞いてみたわけではないので
なぜ板垣先生がこの仕事を請けてくれたのか、本当のところはわかりません。
しかし、少なくとも僕が、この絶望的な戦い(打ち合わせ)で
風向きが変わった」と感じたのはこの瞬間でした。

■バキの話
「哲学者の貌(かお)」に助けられ、「これはもしかしたらいけるかも」と思いつつも、
実はこのとき、僕は半分ぐらい「仕事の話はもうどうでもいいや
と考えるようになっていました。
一緒に打ち合わせに来ていただいている編集者さんには大変申し訳ないのですが、
だって、「あの板垣先生と会って話ができる」っていう普通ならありえない
シチュエーションですよ! バキの話をしなきゃ、もったいないじゃないですか!
なにより、いちバキファンである僕個人として、
如何にバキが哲学的に優れた素晴らしい作品であるか」を
板垣先生にどうしても伝えたかったのです。
というわけで、仕事の話そっちのけで、以後延々とバキ話がはじまります。

■ジャックハンマーの話
だいたいの場合、格闘技漫画(もしくはスポーツ漫画)において、
ドーピング(薬物で肉体を強化している)キャラというのは、
「2回戦敗退が関の山」の三流のアスリートとして描かれます。
たとえば、薬物のパワーで1回戦は圧倒的に勝つものの、
2回戦で主役クラスにあっさりと負けてしまう、とか。
そう描かれる理由は、
薬に頼って作った肉体なんかより、
 鍛練で鍛えた肉体の方が強い(素晴らしい、価値がある)

という一般的な「常識」があるからです。
実際、オリンピックのドーピング事件を見ても、
「ずるい」「卑怯」「誘惑に負けて安易な方法を選んだ」
というのが世間的な印象でしょう。
ドーピングなんて最低の行為だ」というのが僕たちの常識なのです。

しかし、ここで常識(当たり前とされる正しい考え方)にとらわれず、
ドーピングはホントウに卑怯で卑劣な行為にすぎないのか?」と
問い直すとしたら、それはもはや哲学の領域です。

そもそもドーピングはなぜ悪いのでしょう?
自然ではない人為的なものを取り入れて、肉体を強化したからでしょうか?

しかし、たとえばの話
グレープフルーツが身体の筋肉を柔らかくする」という作用があることから、
あるジャンルのスポーツ選手が毎日グレープフルーツジュースを飲んでいるという、
ありふれたケースを考えてみてください。
それって「自然ではない人為的なもの(薬物)」を取り入れてるのと
同じことではないでしょうか?
(だって、普通の人は月に一回も飲まないわけですから)
「グレープフルーツ(特殊な要素)」を摂取したかどうかの違いで、
明らかに選手たちの記録が変わるとしたら、それはドーピングと同じことです。

もともとトップアスリートたちは、特定ジャンルのスポーツに適した肉体を作り出すために、
「普通ではない食事」や「普通ではない鍛練」を行っているわけですから、
「普通ではない、特殊な要素を摂取して、肉体を強化すること」自体は、
むしろ「やって当たり前」のことで、本来は何の問題もないはずなのです。

まさにバキの
使ったらいい、それで強くなれると思うなら
 迷わずそうすべきだ

という台詞のとおりです。

では、「副作用で、最終的には身体がボロボロになるからドーピングはダメ」という
考え方はどうでしょうか?
それが理由だとしたら、「副作用がなければ良い」ということになります。
もし仮に副作用が一切ない筋肉増強剤が開発されて、試合前にそれを飲めば、
軽々と世界記録が塗り替えられるとしたとき、
それを使ってはいけない理由はなんでしょうか?
結局のところ、副作用がないのであれば、「クスリ」「薬物」という言葉の印象が悪いだけで、
記録を伸ばすために、過剰にグレープフルーツを摂取する
マラソンの前に、炭酸抜きのコーラを飲む
というケースとなんら違いはありません。
したがって、オリンピックを含むあらゆる競技は、
副作用のない筋肉増強剤ができたらその使用を認める必要があります。
それがダメというなら、トップアスリートたちの特殊な食事も
やめさせる必要があるはずなのです。

(続く)

この記事へのコメント
初めてコメントさせていただきます。
スポーツにおいてドーピングは卑劣な行為だから禁止されているのではなくて、ルール違反だから禁止されているのだと思います。
ルールはスポーツを平等に、面白くするためにあります。
グレープフルーツが良くて、筋肉増強剤がダメな理由は、そのルールが今のところ一番平等で面白くなると考えられているからです。
なので、副作用のない筋肉増強剤ができてもその使用を認める必要はありません。おそらくつまらなくなるからです。
副作用の話も重要ですが、一番重要なワードは「平等」「面白さ」だと考えます。

(飲茶)なるほどです。格闘技でも「金的」や「目潰し」などの
急所攻撃が禁止されていますが、これは「致命傷になるから」という問題も
さることながら、「ラッキーパンチのような偶然の一撃」で勝負が決まってしまい
競技としての「面白さ」「平等さ」が損なわれるから、と考えることもできますよね。
正しい分析だと思います。
Posted by kay at 2010年08月20日 22:26

「いい貌をしている」というコメント、さすが一流のマンガ家ならではの観点ですね。
確かに改めて見てみると、みんな個性的な顔ですね。私はホッブスのひげがお気に入りです。
一方キルケゴールは最近のアニメに出てきそうな顔ですね。頭文字Dとか。

(飲茶)頭文字Dに出てきそうな顔(笑)
たしかに言われてみれば! 素晴らしい気づきです(笑)
Posted by 天沢透 at 2010年08月21日 09:12

>>kayさん >>飲茶さん

しかし真の格闘家なら
そういう何でもありの本物の勝負こそが
見たいやりたいと思わないでしょうか?
同様に陸上競技でも極限まで改造された肉体で
どこまで記録を伸ばせるのかが知りたい
という価値判断が絶対的に違うとは言えないんじゃないでしょうか?

実際古代ギリシアやローマでは
殆ど殺し合い同然の格闘競技などが行われていたらしいですし。

殺るか殺られるかの真剣勝負というのも
極限の緊迫感が味わえて凄いものだと思いますし
ドーピングや極限の肉体改造で身体がボロボロになり寿命を縮めたとしても
人間の肉体の本当の限界というものが垣間見れて面白いかもしれません。

今そういうものが禁止されているのは
現代の倫理観がなんとなくそうなっているだけだからではないでしょうか。
少数派としてはそういう人は必ず居るでしょうし。

(飲茶)そのとおりだと思います。「競技の定義」を
「ショーとして観客を楽しませるプロスポーツ」ではなく、
純粋に
「人はどこまで速く走れるか?」
「人はどこまで重いものを持ち上げられるか?」
「人はどこまで素手で強くなれるのか?」
を競うものであるとした場合、まさにセントさんのような
結論になると思います。
Posted by セント at 2010年08月22日 11:04

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